ハーレーダビッドソンという社名
ハーレーダビッドソン・モーターカンパニーは、モーターサイクルの生産を始めるにあたり、ダビッドソン兄弟は父親の協力を得て裏庭に10X5フィートの小屋を建てました。
社名を決めるにあたり、ウイリアム・ハーレーは、3ダビッドソン+1ハーレー="ダビッドソン-ハーレーモーターカンパニー" を主張しました。
これに対してダビッドソン3兄弟は、ウイリアム・ハーレーが第1号車を設計したのだから ハーレーの名を先にすべきと主張したそうです。
多数決の結果、"ハーレーダビッドソン・モーターカンパニー"になったそうです。
この後、サイレントグレーフェローが登場します。
1904年、新たにバイクを生産しました。
生産台数は8台作られたと言われています。
(ハーレーダビッドソン初期の生産台数の記録は、1903年が3台、1904年が8台となっていますが、この合計11台のうち、現在2台は存在しますが9台は行方不明のままだそうです。
ハーレー本社には第1号車が展示されていますが、この貴重なバイクのフレームも、創始者の手によって1905年製のフレームに交換されてしまったらしい、という話があります)