ハーレーダビッドソン Harley-Davidson

サイレントグレーフェロー

ハーレーダビッドソン・モーターカンパニーの第一号機の誕生から3年後の1906年、50台の発注と5台の別注をうけるまでになりました。

 

それまでの黒のほかに、ルノーグレーに赤のダブルピンストライプがボディーカラーに加えられました。

 

(グレーに塗られたバイクは、1904年に登場したという説もあるそうです。しかし、これがはじめてカタログに登場したのが、1906年であり、この年を、サイレントグレーフェロー登場の年とする説が堅いようです。 )

 

サイレントたる社命のもと静かなマフラーが取りつけられ、荒涼たる原野の同伴者の意味からサイレントグレーフェローのニックネームで呼ばれるようになります。

 

1906年、叔父のジェームズ・マクレイからの融資をうけ新社屋を設立します。
ダビッドソン3兄弟とハーレーは本業を捨ててモーターサイクルメーカーとしての道を進むことを決意したそうです。

 

そして、すべてのフロントをスプリング方式とし、これをデザイン上の哲学とすることで彼らのファクトリーは出発しました。

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